首都リマ
Lima |
ペルー首都リマの空港に午前0時に到着してタラップを降りると、左右に銃を持つ人に守られ到着ロビーまで歩く。入国手続きして荷物を受け取り検査を済ませて到着ロビーに行くと、現地のガイドの具志堅さんが待っていた。駐車場の方に行くと3台ほど駐車しており、いつもの感でサイドミラーにガムテープを貼っているバスと思ったら、ガイドはそこを通り抜けて真新しいバスの前に止まった。リマ市内は汚れており、夜景もぼんやりと見えるのは、雨が降らないので建物や道路もほこりまみれの上、排気ガスもひどく、さらにはフンボルト海流のお陰で1年中曇っていて晴れた日が少ないという。リマのホテルに午前1時30分に到着した。入口に2名の警備員と中に1名の警備員が待機してガードしてくれた。部屋に入り午前3時(日本午後5時)に家に電話すると誰もでない。今日はゆっくりのリマ市内観光である。 |

アルマス広場
フランシシコ・ピサロが
造った広場(新都市)
カテドラル大聖堂
Catedral de Lima |
朝食をすませてホテルの売店でペンダントのオカリナとケーナを買った。昨日のベンツのバスが来たので乗り出発した。我々が初めて乗るらしく運転手もぎこちない運転である。パンアメリカンハイウェイに入ると、今日は日曜日なのでレジャーのために郊外向きに全車線一方通行らしい。ペルーでは夏休みが3ヶ月とのこと。道路の両側に小高い山がいくつもあり、山の斜面に沿って屋根のない不法住居が建っている。リマ市の人口は公式には800万人と言われているが、不法住居者が200万人いるとのことでペルー人口の三分の一である。よく見ると電柱にたこ足配線みたいに電線がまとわりついているのは、勝手に引いているらしく撤去してもイタチごっこらしく電力会社は、電気料をアップしてそのつけは善良な市民にきているらしく電気料がすこぶる高いらしい。雨が降らないので屋根が必要なく、よしず張りの家が多い。フジモリ氏が特に承認してやったことで人気がでたが、国より認められたら屋根を付け親戚を呼んでお祝いする。 |

インカ犬 
銃を持ち監視する人 
処女の館アマクーナ |
プレインカ時代のパチャカマ遺跡に着く。入口の事務所の前にはアルパカとインカ犬が寝そべっている。パチャカマとは、日本で言う「お伊勢参り」らしい。パチャは天地で、カマは創造者、つまり天地創造者と名付けられたプレインか時代の遺跡である。砂漠地帯であるが水源地である謎の水道がある。太陽の神殿や月の神殿の儀式に使用する酒のチチャなどをつくるため集められた2000人が住んでいた太陽の処女の養成所であったアマクーナがある。それらを守るため丘の上には銃を持った兵士が24時間監視している。まず口笛を吹き、次に空に向けて銃を撃ち、その後は怖いことになる。階段を登る所の土壁が赤く染まっている。これはサボテンの葉に付く虫(表面は真っ白)をつぶすと真っ赤になり、それで染色したらしい。世界の至る所より石を持ってくる同行のおじさんが石を拾った時、口笛が聞こえてきた。現地のガイドは、ガイド免許を取り消される心配で真っ赤な顔で怒り遺跡を出るまでおじさんより離れなかった。出口の事務所でインカ犬は珍しいので降りて写真を撮った。体温が43度あって、体毛はないが頭はモヒカンである。寒いときには抱いて寝るらしく、日本では60万円程するらしい。遺跡を後にして地鶏専門店で昼食を取った。タンドリーチキンといって鶏の丸焼きを、からしとニンニクで食べるもので、すごく美味しくて追加注文する人が多かった。ペルーでは、飲む前に足元に流し大地に感謝してサルー(乾杯)と高々とグラスをあげて飲み干すらしい。 最後にワナワナ入りのアイスクリームが出され、香りがよく美味しかった solah.narysを後にしてリマ市内を走ると電車が何台も止まっているのが見える。線路は4キロ程あり、フジモリ氏の前の大統領時代に建設されたものであるが、賄賂の横行で建設は中断され「走らない電車」と言われている。 黄金博物館に着くと、入口でカメラやビデオの持ち込みが出来ないのでチェックされる。最初の部屋には銃や鎧が数多く展示されており、地下を降りて行くと黄金の扉があり部屋の中は黄金だらけである。大半はスペイン人が侵略したとき、略奪してしまっているが、貴人の墓を盗賊が掘り起こし財宝を横流ししないよう、持ってきたら買い上げると盗賊たちに告げミゲル・ムヒカ・カーヨ氏が集めたとのこと。又、近くには天野芳太郎氏が個人的に集めた有名な天野博物館もある。 |

黄金博物館
インカの黄金仮面
ワナワナの飲料水
インカコーラ
ミネラルウォーター |
インカは、文字や鉄や車輪がなく石の文明なので、石に棍棒を通した武器で戦っていたのでよく頭が陥没するため、1陥没した頭を手術しており何年かは生きていた。脳外科手術をした石のナイフ(押す時に切れるナイフ)やミイラや装飾品が展示されており、黄金の装飾品は軽くするために砂金を溶かして薄くのばし型抜きして中は空にしてある。額に穴があいているのは奴隷であり、サボテンの棘で口をふさぎ、唐辛子で目をつぶすなどの虐待を行っていた。インカ文明人は特に銀とスズが好きであったらしい。ペルートルコ石は、肌に付けても「ひやっと」としないのが特徴であり、銅(緑青)が化石化したものである。ブタピューマ(舌を出している)はオスのピューマで金玉がついている。インカの神様は白人なので、インカの皇帝は気を許し布教に来たと言うスペイン人のピサロと会っている。ジャガイモは5000種以上もあり、4000mの高原で作られている。夜間寒気にさらし凍らせ水分を抜き取って乾燥させて貯蔵可能にした保存食品(チューニョ)を作り都市や国家を作るだけのエネルギーを貯蔵することができるようになった。インカ帝国は、4000mを超えるインカ道を通って言葉を伝え、時には通信用の石カガミも使っていたらしい。その総延長は4万キロに及んだという。博物館の庭に10店ほど民芸品を売っている店があるのでインカコーラを片手に見て廻った。博物館を出て突き当たりのお店(絵葉書や本が中心)での若い男性がいる店。ここで「ペルーの全て」と「マチャピチュのすべて」の2冊を買っおくと帰国して資料になる。ここが一番安いのだが連れと共同にて値切ることもお忘れなく。 黄金博物館を後にして、リマの中心街のアルマス広場に向かう。ペルーにはインカコーラがあり、COLA(しっぽの意味)ではなくKOLA(高貴な意味)にしている。リマの銀座通りは、ひったくりや売春で観光客が遠のいてしまい現在は人通りもない。広場に降りると大勢の人が寄ってきて取り囲まれてしまう。ギター弾きの女の子が、飴を3個1ソロで買ったら演奏して歌うとのことなので買うと歌ってくれたが、人だかりの輪がさらに広がってしまった。急いでバスに乗るよう3名のガイドは、両手を広げて大きな声で道を開けさせ通路を確保してくれた。乗り込んだ新型バスが民芸品売りのおばちゃんたちに取り囲まれてしまったので、バスは急発進した。行き交う路線バスは、日本製ばかりで○○商店とボディに書かれているのをそのままに使っており、船便で来た日本の中古車を半日で改造して9名乗りのワゴン車を18席にして23名程乗せるらしく中腰の人も何人か見える。バスは、家具屋通りを走っている。ここの家具は虫食いの木で制作するので3年くらいしか持たないらしい。 日系人夫婦が経営している店に着いた。看板もなく住宅街なので特に目立たなく、ガイドが来店を告げたら門が開き、入ると門が閉められ鍵が掛けられる。奥さんはアマゾンの奥深く入り草木染めの材料を取ってきて染めた小物が多く、それに部族ごとの面が数多く壁に飾られており素朴なものが多い。高地動物の織物は100パーセントのものはない。首に巻いてチカチカしなければいいと思って懐具合と相談して購入した方がいいのでは。ケーナとポーチとアルパカの織物やインカ塩(天日白塩)などを買ってホテルに帰った。 |

Limaでのハーブ先生 |
夕食には魚と野菜の酢のものであるセビーチェと葡萄の蒸留酒ピスコに卵白とレモンを加えてシェイクしたピスコサワーが出てきた。食事中にホテルのオーナーの魅力的な美人の娘さんよりマカとキャッツクローの話やアドバイスが個人的に聞けた。めぐみさんが言うには「自然治癒力が向上し万能薬と言われるキャッツクローは、薬効から見ると花が一番で葉が二番、樹皮は三番目である。花と葉は確保するのが難しいので見かけるのは樹皮ばかりである。最近ブーム成ってきたインカのバイアグラと呼ばれるマカは、素麺に入れるのではなくチップにして加薬に入れた方がよく。又、お茶漬けの素に入れたら香ばしくて栄養価を高めるのではないか」との貴重なご意見をいただいた。部屋に戻り日本に電話すると、母の家にかけた時、最後にでた母が「お腹の具合は悪くないか」と聞いたので「どうもない」と答えたが、クスコの夕方にはトイレが一番の友達と成っていた。帰って聞いたことであるが時差が14時間で丁度合うし、電話受けた時には母も急に具合が悪く成っていたらしく疑いのあった親子関係を確認したしだいである。 |