旅 立 ち |
長崎から片道2万km、往復4万kmの48時間の旅へようこそ |
 |
アンデスの風に吹かれて |
|
世界遺産:空中都市

天然のバイアグラ【マカ】 自然治癒力の王様 キャッツクロー 有家そうめん(即席袋タイプ)
|
−見はるかす夢を求めて、人生の道草4万キロ −
地球上には不思議とくつろぎ、気が満ち、力がみなぎるように感じられ、パワーがもらえる場所が何ヶ所かある。宇宙と自然(じねん)と自分との一体感の中で自代より聖地や寺院や教会はそんな所に建っていることでもわかる。ペルーにもいくつかの場所を感じてきた。それはマチュピチュの遺跡を吹き抜ける風に魅せられ吹かれていると、耳を通して頭を駈けめぐる雨音と肌をさす風、そしてインカのにおいが漂う中で、朦朧とする意識は、いつしか時を超え、自らの詩(うた)を口ずさんでいた。
風は心の便りびと ささやけば、踊り廻り音となる 寄り添い逢うなら音は楽しくなるものだ。 そう、詩(うた)は風と自然(じねん)のハァモニィ 大いなるものに包まれた自分の存在を確認し 見つめ直すひとときを求め。
雨合羽にやたら強い雨音だけが響き、足元だけを見つめ歩いていたらインカの3つの掟である「うそつかない、なまけない、ぬすまない。」が何故かふと思い出され、知らずにメロディを口ずさんでいた。福岡天神のフォーク喫茶「照和」に出ていたチューリップの前座で演奏していたリグビーというバンドのリードギターの彼より習い始めてギターをたたくようになった。18歳頃より始めたメロディ詩作とは、詩に瞬時に曲をつける方法です。作るのにむずかしい理論は必要なく、うまいへたはありますが誰でも作れるんです。車運転中やお風呂でなんとなく口ずさんでいるときがあると思います。それがメロディ詩作なんです。ヒット曲を立て続けにだす人でも、譜面を書けないも人も多いし、クラッシクなどの演奏されるプロでも曲を作ることが出来ない人が多いのです。心地よい曲を作る人は、良きアレンジャーに恵まれているからなんです。 |

即席カップ有家そうめん
各賞を受賞 世界の著名な名方々に献上
|
さて、アンデスから目を移すと、長崎の雲仙岳のすそ野に広がる当地は、450の手延そうめん工場があり、世界最大の産地を形成しております。低迷する産地の振興と次代に応えるため、お湯を注ぐだけで高齢者でも簡単に調理ができ、伝統の技が生きる手延そうめんを1年中味わえないだろうかと考え開発しました。手延素麺は、本来自然食品でもありカロリーも低くダイエットにも最適といえます。小麦粉をはじめ各種素材の良さを最大限に引き出し組み合わせており、体と心にやさしく、病後の回復にもさらなる効果があるように食べる人を思い描き心を込め開発したものです。 1999.5.18日に大統領であったフジモリ氏が来日した折り、貿易商社を廻わりペルーの食材を自ら売り込んでいた時、キヌアとマカを購入して有家そうめんに封じ込めた経緯があり、任期中にペルーを訪問する予定であったが時間が取れなかった。当初はブラジルからアルゼンチンにはいりチリからボリビアそしてペルーの行程で進めていたが何故かペルー向けての急遽の出発となりました。 |

高山病の舞 次の日はサンソマスク
|
ペルーは、世界の中でもっとも不思議で魅力的な国です。大部分の街が3〜4千mの高地にあり独特の文明を受け継ぎ文化を創ってきました。国中を覆う赤茶色い日干し煉瓦の家、謎の中の謎を秘めたインカ帝国の遺跡、何の目的で描いたのかナスカ文明の地上絵、チチカカ湖の浮島で生活するインカの子孫、高地民族の心をあらわすアンデスの音楽と民族楽器、天にとどくような山並みが連なるアンデス山脈、砂漠とジャングルと高原と海を持ち世界の気候の全てがあるペルー。地球上の生きるものたちが、楽しく長く生きられる食材宝庫のペルー。一度お出かけされることをお勧め致します。いつの日か訪問される日の参考になればと願ってやみません。 |

アンデス高原と放牧 アルパカ リャマ

日本航空
JAL066便成田からロス
ランチリ航空

ロス〜リマ〜サンチェゴ

即席カップ有家そうめん
|
インカの首都クスコは、3300mでアンデスの中央に位置し高度も中くらいで、じゃがいもやトウモロコシが収穫でき、これより高度な4000mではキヌアやマカの栽培やリャマやアルパカの放牧が行なわれ織物ができます。下山したアマゾンでは胡椒やコカを栽培でき木材も豊富です。西には豊かな海があります。このように登り下りしながら物々交換を行っており大帝国の礎と成っていました。このようにして高度差を活用した大帝国の形成をみたのです。一番の収入源であるアルパカやリャマは、4000m以上にしか育たない高原の草を好むので、アンデスの民は家畜にあわせて住居を構え暮らしています。だが、彼らの主食であるジャガイモは、高度3000mまでにしか育たないんです。自然や動物と共に生きなければならない高原の厳しい生活があります。 4年前より研究して着々と進めてきたものであるが、急遽と久しぶりの海外なので準備にてんてこ舞いであった。長崎空港より羽田に飛び京成で成田に向かうことにした。時計は取られていいような安い物を購入して行こうと考えていたので、空港内の店を廻ったが購入しなかったことがプーノでの小さなハプニングに出会うことになる。 出国の手続き検査でこの時計が引っかかり、何度もゲート往復させられた。(それは黄金の金時計のためで検査の度に音が出ること8度経験)、そして4店ある免税店をまわり何故か日本酒の紙パックを購入して17時発ロサンゼルス行JAL066に乗るためにB94ゲートに向かう。だが離陸は17時58分となった。主な観光以外はなるべく食材市場などを見て回り過ごしたいと考えている。1時間程して何故かやさしく感じられるスッチィーが食前酒を配ってきたのでビールを飲み、続いて夕食のビーフかチキンが配られてきたのでワインをもらいチキンを食べた。食事後は眠く成ったので空席が多く横になって行けそうで、4シートを占領して眠ることにした。ロス到着2時間前に食事が配られ、午後7時頃に寝て12時50分頃に起きる。外はマイナス88度で高度は12500メートル。LOS時刻午前09時45分に到着した。時差は17時間である。ロスで入国手続きを済ませて預けたスーツケースを取り仲間を待っていると静岡の姉ちゃんたちのスーツケースだけがないと添乗員が空港内を走りまわっている。さんざん捜したあと「自分の荷物を各自取って下さい」と言うので取ると、真ん中にその娘の荷物が残って大笑い。空港内を登ったり下ったりしてリマ行きに荷物を預けてLAN航空のカウンターで搭乗手続きを済ませた。スーツケースを一つひとつ開けて全体を拭き取り麻薬感知器で調べている。これは麻薬等を扱ったことがある手かどうかの検査であると聞いた。空港内を係員の指示で長時間歩かせてもらったが、乗る機体は日本から乗ってきたJAL機の横に降りるときに目に入った所に鎮座ましました。
LAN航空601便A340は12時25分に離陸した。飛行機は新しいが座席が狭い。背もたれの枕の部分が自由に曲がり頭全体包むことができる。寝ているとスッチィーが起こすので、何かと思うと、イヤホーンを配っており日本では考えられない。座ってばかりいるので、機内を歩いていると最後尾でスッチーの面々が有意義に過ごしているので、逆に我々の方が気を使ってしまう。食事が配られ隣の横浜のお姉さんが「ワイン」と言ったら牛乳がきたので大笑い。その後夕食と夜食で今日は8食べたことになる。 |