プーノ





チャリンコタクシー
 やダイハツミゼット
 が行き交う。
 部屋にはいり冷やりとした夕日が沈む光景を眺めながら梅をかじり、ガラスが取れた腕時計をぼんやりと眺めていたら、ガイドのお姉さんより電話があり、夕食のためのレストランに向かった。スペイン人とアメリカ人のグループが元気よく乾杯しているのを横目にテーブルに向かう。チチカカ湖が望めるすてきなレストランであり、バイキング方式であるが食欲はないのでジュースだけを少しずつ飲めるくらいである。クスコが3,800mで、マチャピチュが2,800mなので少し体が楽になり食欲も出てきたが、プーノは4,000m近くあるので体は戻ってしまった。夜空には南十字星が恋人たちにささやきかけてくるように近くに見える。
  高山病(ソローチェ)は、インカを征服したスペイン人もおそれたらしい。標高1500m以下の低地から2000m以上、特に2500m以上の高地に48時間以内の短時間で到着した場合や更にその高度から1日に高度差500m以上上昇した場合に発症する。血液中の酸素が不足して起こります。頭痛、めまい、吐き気、下痢等で薬を飲んでも効果はなく下山するしかありません。暴飲暴食、喫煙、入浴、飲酒、大声、性欲の禁止を何度も現地のガイドにリマの空港できつく言われた。コカの葉を煎じて飲む。高山病を抑えるお茶としてホテルをはじめ至る所に置かれている。コカの葉もカゴに入れて置いてあり噛んでいると舌が痺れ、脱脂綿に染み込ませ、こめかみに当てるとスーッとして酔いなどが和らぐらしい。頭痛と下痢で毎日が二日酔いの状態のうつろな青白い顔が朝から晩まで続く。部屋に戻りテレビを見ていると洗剤のアリエールの宣伝が繰り返されており99ソールなのだ。
  湖水からこぼれるような見はるかす地平の向こうから登る朝日を眺めていると2人乗った船がゆっくり岸を離れて行くのが見える。急遽秋葉原で買ったビデオカメラで覗くと釣りに行く親子のように見えた。まだ早いのでフロントに降りて朝市ならぬ市場を見せてくれと頼むと、危険なので単純に廻ってくれるタクシーを紹介してくれた。車は人気のないプーノの町をゆっくり走り抜けてきたが、それだけで満足だった。少しだけどキヌアと生マカだけは買った。路上でリヤカーに食材、日用品や薬草(ハーブ)を並べているが初めて見るものも多い。チャリンコタクシーが行き交う。昔のミゼットがが走っている。ホテルに着くとレストランに行って、食べられない朝食を食べるように座っているだけでありチチカカ湖の風景だけがあたかもが大きな栄養源であった。ホテルのロビー前の専門店でビクニャの高級セーターをカードで買っているとのことで横浜のお姉さんが呼びに来るので行ってみると、仙台に間欠泉を自宅に持つお金持ちのおじ様が抱えているのはセーターだけではなかった。8万円のセーターは唇が赤い人の分なのか、自分は20万以上もする特注上着みたいなものを受け取りながらサインしていた。
シュスタニ
 遺跡





 今はほとんど見ら
れなくなった皇帝の
防寒服として珍重さ
れていたビクーニヤ
をひく親子
 バスが7時に来たので乗り込み出発した。プーノは標高3855mの人口33万人で観光と農業と民芸品の町である。雨、ヒョウ、あられや雪は降らない赤道に近い。プーノ郊外にあるインカの全身のチュウラホン文化遺跡で標高4千mにあとわずかである。生命が蘇ると信じられており、チュワパ(墓)は穴が開いており全て東を向いているシュスタニ遺跡である。太陽よりエネルギーをもらう太陽の神殿がここにはある。いわゆるパワーがみなぎるスポットであり中心に立ち天より頂くのである。さらには影と角度で日と時間を読んでいた。ウマヨ湖(カルデラ)は、今はバスで通って来たが雨期には道が埋もれ湖のようになり通れなく成ってしまい船でくるしかない。インカ帝国時代の前を総称してプレインカ時代と呼んでおり、ここは1971年に10体のミイラが発掘されている。標高が高いのでカミナリが多いので至る所に避雷針が立っている。カルデラ湖に浮かぶ島がある、それをユーホーアイランドと言って、一家7人が住んでおり、魚を捕ったりアルパカやリャマを育てて生計を立てているらしい。その名のとおり島全体が空母のように着陸に向いている島で多くのUFOが飛来するらしい。高山植物をビデオに撮っていると回りにも珍しい生き物がうようよいるので追っていると、誰もいないので急いで下ることにした。皆は尖った石に抱きついて片手を挙げて写真を撮っているようだ。近づいて聞くと、それはエナジーストーンと言って磁気を帯びた石で人にエネルギーを与える石であるとのこと。ナスカにも同じような石がある。左手を当て顔は写真に写るために左向きである。左手を抜けて全身を駆けめぐり元気にして右手より宇宙に飛び出すらしい。降り口に今はほとんど見られなくなったビクーニャを引いた親子がいたので、お願いして私だけ記念写真を撮った。東北から参加した新聞関係の人は、いつもダジャレの連発であり、よくここまで我慢したことか。今までお話しましたが、これはわたくしのひとつのアンデス。近くに寄るなリャマだと。バスが止まっている所に降りて来ると子供たちが踊りをしているので、感激した仲間が飴などを与えている。
  バスは、この遺跡の事務所か売店に停車したので、急いでトイレに駆け込むために降りて建物に入るとお姉さんがアルパカのセーターなど説明するの尻目に入る。戸もなく便座がないので腰を浮かせてしなければならない。あんまり遅いのでお姉さんが見に来たので、諦めてズボンを引き上げる。お姉さんはバケツに水を汲んできたものを便器に勢いよく流した。

イカ空港






 前方に見えるのが
お店:黄色い線より
入っては成らないの
で大声で我々を呼
んでいる。
 (空港ロビーより撮
影)
 バスは12:09にICAのフリアカの空港を目指し猛スピードでひた走る。広大な平原を走り12:30に着く。時間があったので空港前の民芸品店を覗くことにした。ここは今までの中で商品も良く値段も安い。ここでコンドルは飛んで行く(コンドルバス)の曲を彩るサンポーニアの民芸ケースとアンデス民の心をあらわす民芸ケース付きのケーナを横浜の姉さんが側で応援するので辛抱強く値切り購入した。横浜のお姉さんも記念に成るとのことで出発寸前に購入するため走って行った。ここは旅行した人しか知らない穴場の店です。空港前に黄色い線があり、それより入ってはならないらしく手招きする。空港内の売店を眺めていると、ひえかかあわのおこしとキヌアが売ってあるので購入した。ここはICAでリマから南へ308km。葡萄が取れワイヤやピスコの産地で10体ほどのミイラと脳外科手術した頭蓋骨5千体が展示されているイカ考古学博物館もある。
  アレキーパ経由のリマ行きのBO727である。直線に入る前に曲がりながらスピードをあげているのに隣の老夫婦は昼食の鳥のモモ足をかぶりついている。揺れがひどいので離陸してから食べたらどうですか。と言うが止められないのか黙って黙々と食べ続けている。通路を挟んで3席の6席で乗務員の男女も空いている客席に堂々と座っているが、浅黒くピューマ足の美人ばかりのスッチーだったのですこぶるにこやか。「ハポネセス?」と聞くので空港の売店で買ったチョコを渡しながら郷くんみたいに「ジャーパーン」と答えたら、にこっと笑ってウインクしたので、連れがいないとリマでは楽しいかったかもしれない。隣の老夫婦のご主人は、セイコー時計の設計者でプーノでガラスがはずれた時計を見せたら、1970年代のモデルで相当儲けさせてもらったものですと言われ、こんなぐらいではずれるはずがないのですがと言って返してくれた。13時出発が30分前に離陸して出発時刻の13時にはアレキーパに着いた。少しの人が降りたので、飛行機のお尻より降りて暑い外気を吸ってきた。座席の頭の上の荷物の扉が全て全開、操縦席はカギもなくいつも全開、なんてこっちゃと思ったが、全員で不審物の点検をしている。乗ってきたのは、旅行者ばかりで重たい荷物を持った人ばかりで、普段しないが離陸前の説明を真剣に聞いていました。13時50分に満席で飛ぶ。スッチーがサンドとケーキとコーラを配ってきたら、隣のセイコーおじさんは、ウイスキーをおねだり、国際線でないので無料のものはないようような口ぶりで(牧人さんの想像)あるのにしつこい、しばらくして琥珀色したものを持ってきたら、そろばん三級、家内は昔は産休、サンキュウと言って旨そうに飲んでいる。今食べたのに全て食べてしまっている。父親より若いが戦前生まれはなんと強いことか。