リマから
 ナスカへ


ミゼット


アルパカの放牧
 14時50分に静かにリマの空港に飛行機は滑るように止まった。空港にはあの元気な具志堅お姉さんが待っていた。ドライバーはラウルさんで、バスに乗り込みナスカに向けて出発した。「空気のような人を大切に」しなければ成らないことがわかったでしょうとぽつりと言った。通り過ぎる町の店を眺めていると中古車が多く感じられたが、全て車はお尻を向けている。日本車ばかりだったが、少しずつ韓国車が多くなってきた。成功した人で、フジモリ氏と同じく熊本県出身の平岡氏が電気店の経営しており、地方の町長などを歴任し大地主の娘と結婚しているらしい。24時間スーパーも多く成っているが、まだまだドル建とのこと。人質事件の時は、日本からの取材陣が250人、外務省の人間が120人で11のホテルを貸し切っていたとのことでした。日本だけでもこれだけですから、世界中からは相当なものだったでしょう。今の大使館は三重に張り巡らされた高い塀と木もなく要塞の感じがするので国民から笑いものになっているとのことだった。アメリカンハイウェイをひた走る。山をVカットしており、両側から迫ってくる。明治32年に日本人の移民が最初にカニーテに上陸したらしく、大地主の家が見える。地下には奴隷部屋があるらしい。苦しい生活にアンデスを越えたら夢の世界があると信じ逃走して向かったら、高山病と寒さで越えられなく死んでしまったらしい。黒人が最初に上陸したのがチンチャである。黒人とモレノス(白人)は、美女美男が多くスタイルがいいが性格は悪いらしく、黒人とインディオ系(サンボ)は、外見は良くないが性格が良いとのことだった。ペルーでは料理がおおいしいのは黒い手が作っていると言うらしく料理の50%は黒人が作っているらしい。
 バスは
さらに走り、雨期のための橋を守るためにバスの体重をはかる。トイレ休憩で泊まったGSの売店でスプライトとキスチョコと板チョコを買って20ドルやると52ソルのお釣りをくれた。さらに進むと鶏舎が見えてきたので、ガイドの説明は、長く使うと病気がつくので2〜3年で戻ってくるらしい。チンジャの町に入った。ここには福岡県の寄付で小中学校が2校あり、フジモリの奥さんが福岡の出身なので開校式にシャンペンを割ったことを紹介。両側が自動車の修理部品工場が左右に並ぶ。遅い夕食のために静かに町に着く。ワランゴでステーキとサラダ、皆はビールを飲んでいたがワインを1本頼みギャルだけに注いでしまった自分があった。食事が終えて入口に来ると、タンドリーチキンを炭火で焼いておりこれが良かったなと思った。回りの仲間に知識をひけらすようなことを言ってしまった。にわとりは、ションベンはしません。うんこと一緒にするんですと。

 パンアメリカンハイウェイ



 世界遺産:
 ナスカの地上絵
 スペイン人が作ったのか、中庭のプールを取り囲むように部屋があり、趣きのあるホテルに着いた。建物は古いが部屋も広くミニバーやベランダもありなかなか良い。シャワーを浴びて荷物を整理する。体調が思わしくなく毎日が着いたらすぐに寝るだけである。今日も日本から一緒のお姉さんが、ホテルの備品や設備で不都合なことはありませんか。明日は、7時10分出発です。具合が悪くなったらすぐ知らせてくださいとのことだったので、「横のベッドが空いているので気分がすぐわかるように、今晩も空けていますからどうぞ」と言ったら、それくらい言えるなら大丈夫でしょうと笑われながら切られてしまった。 今日も寝られなく早く起きてしまって誰もいないフロントを抜けて散歩する。子供が2人が箱を持って座っているのを横目でみながら出た。ホテルの回りだけであるが、早朝なのか何故か新鮮である。レストランに向かい食べられない食事をしてフロントに向かう。バスに乗り込むとき2人の子供が靴を磨けて言ってくるが運動靴なのでする必要がないと言ってバスに乗り込むと。よく考えてみると枕チップは1ドルと言われていたが、この旅では一度もやっていなかった。
  バスは、7時10分に出発した。家の上に鉄筋を伸ばしているのは、お金が貯まったら2階を造る意志とのことらしい。食材の車が所狭しと並んでおり、市場らしくものも見える。10分でに到着して搭乗手続きを行う。搭乗事務所の横のショップで絵葉書を買う。さらに時間があるので道路を隔てた公園事務所の奥にショップがあったので絵葉書を加えて買った。横にはアイスの店があって男性諸君がたむろして食べている。この公園の芝生には世界を回っている人々が夜にはテントを張るらしく今は人はいない。搭乗のためにセスナがいるところに向かおうとすると、子供たちが絵葉書のセットを売りに来るので、子供たちの事情を知っているので買ってしまう。前のセスナが離陸するまでに案内する彼女と乗るセスナと写真撮影する。乗る前に簡単な説明を受け、操縦席の隣に乗ることに成ってしまいシートベルトとビデオとカメラの準備を終えた。ひょんこひょんこしながらセスナが進む。エンジンがフル回転すると操縦席にチップありごとうございます。と張られているのが目に付く。チップは乗る前に地元の添乗員が言われるままにやっている。
 管制塔から指示を受け、離陸開始したセスナは、大
空に向かって飛び立つ。紀元100〜600年頃栄えたナスカ文明。900kuにわたる広大な平原(パンパ)200個程点在する。10mから350mくらいなものまである。真中をパンアメリカンハイウェイが通っているので排気ガスなどで消えつつあるとのことだった。クジラ、モンキー、クモ、サル、イヌ、ハチドリ、コンドル、宇宙飛行士など写真やビデオに撮りながらセスナは飛び回る。チップせいか操縦士が見えたかどうか、必ず聞くので、NOと言ったら又旋回するので、ビデオを覗きすぎでムカムカしてきたので、OKと素直に言うようにしましたが、機長はなかなか帰ろうとしません。
 世界遺産のナスカの地上絵
の真中を大型トラックが行き交っているのが見える。着陸する前にモライ遺跡が見える。円形の段々畑で同心円状に造られており外側の畑の直径が100m以上ある。何故谷間にわざわざ造ったのか。場所によっては日照時間が違うので作物の栽培試験をしていたのでしょうか。これも謎です。何のために描いたのか、宇宙人説とか言われるが、わたくしが納得する説をここで説明紹介したい。