メロディー詩作
小さな自分が見える
作詞作曲:放浪木 牧人
  19歳の時に曲を付け、初めての作曲です。詩は以前より作っていました。

 ◆「小さな自分が見える」
 (1970年/昭和45年)


1.ふるさとの丘に立ち 
  今思うことは
  あの夕焼けの向こうに
  僕の夢がある
  空に浮かぶ白い雲も
  心をとざす
  はてなく広がる空は 
  行けども広い
  夢を求めて 羽ばたく
  小さな自分が見える。

2.ふるさとの丘に立ち
  今思うことは
  あの山の向こうに
  僕のなにがある
  いま沈む暗い心も 
  いつかは晴れるだろう
  求める我らの幸せは
  はてなく深い
  夢を求めて 羽ばたく
  小さな自分が見える。

3.ふるさとの丘に立ち
  今思うことは
  あの地平の向こうに
  僕の夢がある
  こみあげる光る涙も
  心をとざす
  はてなく広がる空は 
  夕日でかわくだろう
  夢を求めて 羽ばたく
  小さな自分が見える。
 
 
◆「雑木の掛け橋」
     (1970年)


 村の娘が嫁ぐとき
 必ず通る小さな丸太の橋
 知らずして娘らが足を止め
 水に映る我が身を眺め
 遊んだ遠いあの日
 何時か涙がせせらぎに落ちる

 急かされて歩く足どり重く
 母がこの橋を渡り終えたら
 振り向くなと言った涙の声は
 何時か耳を抜け
 山々にこだまする

 母に背おられ渡った幼い日
 今度この橋をあの人と渡る
 彼の元へ続く道も
 遠くても疲れない
 嫁ぐ日必ず渡り立ちすくむ
 村の丸太の橋
 娘は涙と一緒に流す 
 水の絶えない
 村はずれの雑木の掛け橋  
 
 ◆「冬じたく」(1970年)
  秋は自然と歩き
  裾野を道連れに
  沈黙づたいに歩かば
  紅葉も使命は果さんか
  降り散る衣は冬じたく

  一面敷くは風の紅葉
  みんじりともせずは
  我が地の効用
  あたり回らば
  我が身回らんかな
 
  行き交うも旅人と知らしめ
  過ぎしも己と悟る
  つまびらかに知り
  記憶を引き下げ
  沈黙づたいに歩かば
  我が身回らんかな
  
  秋は自然と歩き
  裾野を道連れに
  沈黙づたいに歩かば
  紅葉も使命は果さんか
  降り散る衣は冬じたく
 
 上の詩は、雲仙に登ったとき、祖父の家に遊びに行ったときのもので、今読むと何だろうかと思います。できた詩に曲を付けるのはむずかしい。日本メロディ詩作人会をつくり同時に作るようになりました。 
 ◆御堂筋での出合い
  
1.あの道 この道 
  あの娘と出会う道
  銀杏の葉を 朝日がてらす
  並木道に 
  あらわれてはきえ
  黒いコートが 
  さみしさを誘う
  ほのかな ほのかな 
  ほのかな御堂筋
 
●子どもが生まれたときに

◆我が娘(こ)へ
1.春は君と蓮華草の
  野原で会い
  夏は日差しの中を二人歩く
  秋は落ち葉を踏みしめ
  寄り添う歩く
  冬はいつまでも
  君を抱いて眠る。
●人生の道草しませんか!
 民話と音楽に興味をもった時期がありました。(チラシ抜粋)


「ありえ町に古くより語り継がれた民話は、幾世代を経て今、老人の心の片隅にわずかに残っているのにすぎません。

 老人が孫に語りかけていたひととき(縁先で日なたぼっこして話してくれたひととき、寝付かれない子らに話していたひととき)が今の生活には必要ないかのように子どもたちの心の中にスイッチひとつで入ってきてしまいます。

 このひとときの欠如で語り場を失った大切な地域の財産が消え去ろうとしています。

 祖先の息づかいが直に伝わる唯一のものを、子どもちちの心の中に芽生えさせ、そして生きづかせ、貴い夢の文化財産を子どもから、その子どもへと、触れ伝えることができるように、今残してやりたく、お年寄りの方を訪ねてまわっています。
 些細なことでも結構ですので、ご連絡をお待ちしております。」 

有家ふるさと探訪局
   ☎82-1638

 
 西鉄福岡駅の新天町側に降りて左に行くと右にライブ喫茶「照和」があって、地下に降りるとステージが目に入る。 チューリップや海援隊の前に歌っていた(前座)「リグビー」のリーダーと親しくなってギターと曲作りを習う。演奏して歌っても(シンガーソングライター)ノーギャラだが、飲み物と食べ物が提供されることが楽しみのようでした。
 就職で上京して、商社と別に音楽事務所に籍を置き、依頼されるのは演歌ばかりで、1年でやめました。
 ◆照和から旅だったミュージシャンたち
・井上陽水
チューリップ
・海援隊
・甲斐バンド
陣内孝則
CHAGEandASKA
永井龍雲
長渕剛
 1970年に「ライブ喫茶 照和」がオープン。1971年にチューリップが上京し1972年に「魔法の黄色い靴」でデビュー、1972年に海援隊(武田鉄矢) が上京して「海援隊が行く」でデビューする。
 1968年広島フォーク村が結成され、吉田拓郎が「イメージに詩」で出現。

 吉田拓郎・泉屋しげる・かぐや姫(南こうせつ)・加賀良・風・岡林信康・高田渡・遠藤賢司・高石ともや・はしだのりひこ・因幡晃・なぎだ健壱など聞いていた。
 1974年に、放浪木牧人(木村)が上京する。翌年1975年8月2日から3日にかけて夜通しのコンサートが静岡県掛川市の「つま恋多目的広場」で記載されるので、電車やバスを継いで、たどり着いた。108曲、65000人の最初の夜を徹しての最大コンサートである。出演者は、吉田拓郎・山本コウタローとウィークエンド・かぐや姫(南こうせつ )・伊勢正三・山田パンダ風です。
●当時のチケット

 東京では、今もですが、空港で情報誌(ぴあ)を購入して、ライブハウスの吉祥寺曼荼羅か南青山MANDARAに出かけます。因幡晃・高田渡・遠藤健司・なぎだ健壱が出演しますが、お客は私ひとりの時がすくなくありません。


 時間ができたら鎌倉を歩きます。中小企業大学に入校したときには、土日は鎌倉をよく歩きました。 

◆北鎌倉で降りて、円覚時 ⇒ 東慶寺(縁切寺)さだまさしさんがうたっています。⇒明月院 ⇒建長寺 ⇒ 銭洗弁天 ⇒ 佐助神社 ⇒ 鶴岡八幡宮 ⇒鎌倉駅(江ノ電)⇒ 由比ヶ浜 ⇒ 長谷(長谷寺:鎌倉大仏)⇒ 極楽寺(ドラマ 俺たちの朝:中村雅俊さんたちが乗り降りした駅 ⇒ 七里ヶ浜 ⇒江ノ島 ⇒ 藤沢 ⇒ 横浜 ⇒ 東京

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